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『トイ・ストーリー5』感想|おもちゃを手放した大人が、少しだけ許された気がした

lp.faint

『トイ・ストーリー5』を観てきました。

観終わってまず思ったのは、
「トイ・ストーリーってだんだんと大人向けになっていってるな」ということです。

もちろん、作品側が変わったというより、観ている私自身が歳を取っただけなのかもしれません(笑)。

子どもの頃に観ていた『トイ・ストーリー』は、ウッディとバズの友情だったり、おもちゃたちの冒険だったり、「おもちゃにとって幸せとは何か?」みたいな部分を素直に楽しんでいました。

でも、大人になってから観ると、見え方がかなり変わります。

昔、自分が遊んでいたおもちゃのこと。
いつの間にか遊ばなくなったこと。
どこかにしまったままになったこと。
たぶん、捨ててしまったものもあること。

そういう記憶が、映画を観ながらふっと戻ってくるんですよね。

『トイ・ストーリー』シリーズって、子どもの頃はワクワクする冒険映画だったのに、大人になってから観ると、なぜか少しだけ罪悪感を刺激してくる。

幼少期のころ、遊んでいたおもちゃたちのことを考えてしまいます。

今回の『トイ・ストーリー5』は、その罪悪感に対して、かなり優しく答えを出してくれた映画だったと思います。

私にとって今作は、これまでシリーズが積み上げてきた“大人に刺さる要素”の終点というか、ひとつの頂点にたどり着いた作品でした。

ネタバレなし感想:おもちゃVSデジタル、だけではなかった

youtube「トイ・ストーリー5」予告

今回の大きな軸は、アナログなおもちゃとデジタル機器の関係です。

ボニーのもとに、タブレット型のリリーパッドが現れる。
子どもたちはタブレットに夢中になり、おもちゃで遊ぶ時間が減っていく。
その中で、おもちゃたちの存在意義が揺らいでいく。

こう書くと、かなり分かりやすく「おもちゃVSタブレット」の話に見えます。

正直、観る前は私もそういう話なのかなと思っていました。

「昔ながらのおもちゃ最高!」
「デジタルばっかりじゃダメ!」
みたいな、やや分かりやすい方向に行くのかなと。

でも実際に観ると、そこまで単純ではありませんでした。

今作が描いていたのは、デジタルそのものの良し悪しというより、効率や正解ばかりを求めることで、子ども自身の想像する時間や遠回りする時間が失われていく怖さだったと思います。

デジタルは便利です。
知りたいことをすぐ教えてくれるし、効率もいい。
人とつながる手段にもなる。
今の時代、それ自体を無視することはできません。

ただ、効率がいいことばかりが正しいわけではない。

この映画が言いたかったのは、たぶんそこだと思います。

ジェシーの言葉が妙に刺さった

youtube「トイ・ストーリー5」予告

作中で妙に心に残ったのが、ジェシーの「デジタルのせいで子どもたちの成長が早くなっている」という趣旨の言葉です。

ここ、かなり刺さりました。

今の子どもたちは、昔よりもずっと早く、いろいろな情報に触れます。
何が流行っているのか。
どうすれば友達ができるのか。
周りに合わせるにはどうしたらいいのか。

そういう“答えっぽいもの”に、すぐアクセスできてしまう。

作中でも、ボニーは友達の作り方に悩みます。
そこで示されるのは、周りに合わせることや、流行っているものに乗ること、効率よく友達を作ることでした。

それは一見、正しいやり方に見えます。
でも、ボニー自身は苦しくなってしまう。

ここがすごく今っぽいなと思いました。

最初から「これが楽しいものです」「こうすれば友達ができます」と完成された答えを渡されるのではなく、自分で想像して、自分で失敗して、自分に合ったやり方を見つけていく。

そういう遠回りって、たぶん子どもには必要なんですよね。

いや、大人にも必要かもしれません。

便利さや効率の中で、非効率な時間や、自分で考える余白がどんどんなくなっていく。
『トイ・ストーリー5』は、そこをかなり優しく、でもはっきり描いていたと思います。

ここからネタバレあり感想

ここからは物語の重要な場面に触れます。

今回、私を含めて、劇場の前後左右の席でも涙している人がいたポイントがありました。

そのひとつが、ジェシーと元の持ち主・エミリーに関わる場面です。

ジェシーは忘れられていたわけじゃなかった

youtube「トイ・ストーリー5」予告

ジェシーには、かつての持ち主であるエミリーとの思い出があります。

『トイ・ストーリー2』を観ている人なら、あの回想シーンを覚えていると思います。
エミリーはジェシーを大切にしていた。
でも、成長していくにつれて、おもちゃで遊ばなくなっていく。
そしてジェシーは手放されてしまう。

子どもの頃に観た時は、単純に「ジェシーかわいそう」と思っていました。

でも大人になってから観ると、エミリー側の気持ちも少し分かってしまうんですよね。

嫌いになったわけではない。
どうでもよくなったわけでもない。
ただ、大人になっていった。

遊ぶものが変わって、生活が変わって、気づいたら昔のようには遊べなくなっていた。

これって、誰にでもあることだと思います。

大切にしていたおもちゃを、ずっと同じ熱量で持ち続けるのは難しい。
遊ばなくなったものをしまい込むこともある。
手放すこともある。
捨ててしまうこともある。

でも、それは愛情がなかったということではない。

『トイ・ストーリー5』でジェシーが知るのは、まさにそこでした。

エミリーはジェシーを忘れていたわけではなかった。
大人になったエミリーには子どもがいて、その子に“ジェシー”という名前をつけていた。

ここ、ずるいです。

泣かせにきているのは分かる。
分かるんですけど、ちゃんと泣いてしまう。

ジェシーにとって、自分はただ捨てられた存在ではなかった。
ちゃんと誰かの記憶の中に残っていた。
一緒に遊んだ時間は、消えていなかった。

その事実が分かるだけで、過去の痛みが少しだけほどける。

ここが本当に良かったです。

おもちゃを手放した側の大人も、少し救われる

youtube「トイ・ストーリー5」予告

この場面で救われたのは、ジェシーだけではなかったと思います。

少なくとも私は、かなり救われました。

『トイ・ストーリー』シリーズを観ていると、どうしても昔遊んでいたおもちゃのことを思い出します。

あんなに大事にしていたのに、いつの間にか遊ばなくなった。
たぶん今はもう手元にないし、
どこに行ったのかも覚えていない。

それを思うと、少しだけ申し訳ない気持ちになるんですよね。

でも今作は、そこに対して「それでもいいんだよ」と言ってくれているように感じました。

おもちゃって言うのは”必要な時にそばにいてくれる”

この感覚がすごく良かった。

正直、『トイ・ストーリー』のマッチポンプみたいだなとも思います(笑)。

トイ・ストーリーを観る。
昔のおもちゃを思い出す。
ちょっと罪悪感を覚える。
そしてトイ・ストーリー5で許された気がする。

自分で火をつけて、自分で消火しているような気もします。

でも、それでもいいんです。

長くシリーズを観てきた人間としては、その流れすら心地よかった。
「ああ、このシリーズにここまで付き合ってきてよかったな」と思えました。

まとめ:分かっていても泣いてしまう映画だった

『トイ・ストーリー5』は、ただの「おもちゃVSデジタル」の映画ではありませんでした。

もちろん、タブレットやデジタル時代の子どもたちの遊び方は大きなテーマです。
でも本当に刺さったのは、そこだけではありません。

昔おもちゃで遊んでいた自分。
いつの間にかそれを手放した自分。
でも、その時間はちゃんと自分の中に残っているということ。

そこを思い出させてくれる映画でした。

子どもの頃に『トイ・ストーリー』を観ていた人ほど、今作は刺さると思います。

ウッディやバズの冒険にワクワクしていた子どもが、いつの間にか大人になって、今度は自分が手放してきたおもちゃのことを考えてしまう。

そしてジェシーの物語を通して、少しだけ「それでもよかったのかもしれない」と思える。

私にとって『トイ・ストーリー5』は、そんな映画でした。

泣かせにきているのは分かる。
展開としてずるいのも分かる。
でも、ちゃんと泣いてしまう。

それくらい、これまでシリーズを観てきた時間ごと包み込んでくれる、かなり心地のいい作品でした。

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