ストレンジャーシングス最終回ネタバレ感想
終わったのに、心がまだホーキンスにいる。
私は子供の頃、アニメやドラマの最終回を見るのに、少し抵抗感がありました。
最終回を見てしまうと、その物語が終わってしまうからです。
物語が終わることで生まれる喪失感が嫌で、
観終えることそのものに、少し恐怖を感じていました。
けれど最近は、コンテンツがあまりにも多く、
ひとつの作品が終わっても、すぐ次が見つかります。
だから、あの抵抗感はいつの間にか薄れていました。
ところが、今回の
ストレンジャーシングス最終シーズンは違いました。
子供の頃に感じていた喪失感を、
まざまざと思い出させてきた作品でした。
最終回を見終えた率直な感想
最終章は、大筋としてはきちんと終わりました。
その点に不満はありません。
ただ、きれいに終わったからこそ、
胸にぽっかり穴が開いたような感覚が残ります。
海外のレビューやSNSを眺めても、このラストは評価が大きく割れていました。
称賛の中心は、
キャラクターの着地と総力戦としての見せ場。
一方で不満の中心は、
説明や段取り感、そしてある場面の置き方でした。
特に第7話前後は、
作品外の反応も含めて荒れやすかった印象があります。
そんな中での、
私自身の最終シーズンの感想は次の通りです。
・ウィルがかっこいい。
・ジョイスがその覚悟を受け止めたシーンが魅力的。
・エルは死んでいる説が個人的に一番面白い。
・ウィルのゲイのカミングアウトは必要だったのか?
・ラストのD&Dは新たな冒険を想起させる。
ここから、この感想を順に掘り下げていきます。
エピソード3 ウィルとジョイスの対話
ここからは、シーズン5エピソード3の話です。
ウィルはシリーズを通して、
常に「被害者の側」に置かれてきたキャラクターでした。
攫われた。
異界と繋がってしまった。
狙われ続けた。
だから母親のジョイスにとって、
ウィルを二度と危険な目に合わせたくないのは当然です。
ジョイスは、世界の命運よりも我が子ウィルを選ぶ母親です。
このシリーズを見てきた人なら、誰も否定できないと思います。
危機が訪れるたびに、
ジョイスは世界ではなくウィルを選んできた。
その選び方が、物語を動かしてきました。
ところがシーズン5では、
ウィルの側に明確な変化が現れます。
ただ守られる存在ではなくなり、
恐怖に立ち向かう力を少しずつ身につけ、
自ら危険に踏み込み、仲間の役に立とうとする。
その転換点のひとつが、
エピソード3でのジョイスとの会話です。
「信じてほしい」ウィルの本音
ウィルはここで、
ジョイスに「信じてほしいだけだ」と伝えます。
守ってほしいわけではない。
止めてほしいわけでもない。
自分の選択を認めてほしい。
一人の人間として承認してほしい。
そういう願いだと感じました。
それに対してジョイスは、こう返します。
「信じてるわ、ウィル。
でも信頼って、お互いが築くものよ。」
この返しがとても印象に残りました。
ジョイスは感情的に止めることもできたはずです。
それでも、ただ「信じてる」と言い切る。
同時に、
信頼は片方が与えるものではなく、
二人で積み上げていくものだと伝える。
母親としての愛情を保ったまま、
息子を対等な存在として扱い始めた瞬間に見えました。
この会話があるからこそ、
後のエピソード8の一言が、強く響くのだと思います。
エピソード8 一番心に残った場面
ラストのエピソード8。
派手な爆発でもあった訳でもなく、
誰にでも刺さる名言でもありませんが、
個人的には一位か二位を争うほど感動した場面があります。
子供たちを追うヴェクナに対して、
ウィルが攻撃を仕掛けようとする場面です。
この攻撃は、明らかにリスクを伴います。
仲間もそれを理解している。
提案した以上、覚悟はある。
でも同時に、心配もある。
だから、その場の空気が一瞬固まります。
「早く行って」に込められた信頼
そこでジョイスが止めない。
むしろ、迷う仲間たちに向かって叫ぶ。
「早く、行って。」
あの瞬間、はっきり感じました。
ウィルとジョイスは、完全に信頼を築いたのだと。
エピソード3で交わした言葉が、
ここで行動として現れる。
ジョイスは、
ウィルを危険から遠ざけたい母親であり続けながら、
ウィルの覚悟を否定しない。
それは放任などではなく、
エピソード3の延長線上にある、能動的な信頼です。
ジョイスはようやく、
ウィルの選択を見る母親へと成った。
守る対象ではなく、
共に戦う存在としてのウィル。
その変化が、
たった一言に凝縮されていました。
だからこの場面は、
勝利よりも嬉しく感じたのだと思います。
ウィルがかっこよかった理由
私がウィルをかっこいいと感じた理由は、
派手な能力や演出ではありません。
受け身の席から、
攻撃する席へ移った反転があったからです。
ウィルはずっと被害者でした。
物語の起点でありながら、
自分の意志だけで前に出ることが難しかった。
それが最終章で、ついに殴り返す。
恐怖を認めたうえで、それでも踏み込む。
この姿に、
シリーズ全体の積み重ねを見ました。
細かな段取りや説明以上に、
私にとって重要だったのは、
ウィルが前に出たという事実です。
エル死亡説が残した余白
個人的に、
エルは死んでいる説が一番面白いと感じました。
この読み方をすると、
最終回に残された余白が、より強く感じられます。
もしエルが死んでいるなら、
この世界は彼女なしでも続いていく。
仲間たちは、
彼女の不在を抱えたまま生きていく。
その現実味が、
最終回の喪失感とぴったり重なります。
もしマイクの語りが、
事実説明ではなく、
残された側が喪失を受け止めるための防波堤だったとしたら。
この最終回は、
考察としてではなく、
感情として長く残る終わり方になります。
ウィルのゲイの告白は必要だったのか
ここは、私が少し引っかかった部分です。

❝少し❞じゃないかも
ウィルのカミングアウトは、
自身がゲイであることを打ち明ける場面でした。
物語の舞台が1980年代のアメリカであることを考えると、
ウィルが長い時間この気持ちを抱え込み、
誰にも言えずに苦しんできたことは、十分に理解できます。
当時は、今よりもはるかに
同性愛に対する偏見や沈黙が強い時代でしたでしょう。
だからこそ、この告白そのものを
否定したいわけではありません。
ただ、私の中に残った違和感は、
告白の内容ではなく、置かれたタイミングでした。
最終決戦の直前に、
あの温度の場面が挿入されたことで、
物語の流れが一度ぶれた感覚があった。
視聴者の意識が、
戦いから一度引き離される。
内面としては重要でも、
物語構造としては焦点が散ったように感じた人も
少なくなかったと思います。
実際、この場面は賛否が大きく分かれました。
一方で、
ダファー兄弟(本作のクリエイター兼ショーランナー)は
ウィルの物語を描き切るために必要だったと語っています。
ノア・シュナップ(ウィル役)も、
この場面の意味を大切にしていました。
作り手にとっては必要だった。
それは理解できます。
だから私の結論は、こうです。
告白の核は大事。
でも配置には疑問が残る。
ラストのD&Dが示すもの
そしてラスト。
デレクやホリー、子供たちがD&Dで遊ぶ場面。
私はここで、少し救われました。
終わったのに、始まりに見えたからです。
ストレンジャーシングスは、
D&Dから始まり、D&Dに帰っていく物語です。
怪物の名前も、
作戦も、
恐怖の正体も、
彼らは遊びの言葉で掴み直してきました。
だから最後に、
次の世代がD&Dで遊ぶだけで
世界が続くと分かる。
超能力を持った少女と出会う訳でも、
世界の危機を救う訳でもないかもしれないが、
彼らの物語が始まる。
次回作の伏線という訳ではなく、
ストレンジャーシングス、
ホーキンスはあり続けるんだ
と感じます。
まとめ 最終回を見終えて
私の海外ドラマランキングのTOP3が決まりました。
スーパーナチュラル。
ブレイキング・バッド。
そして、ストレンジャーシングス。
順位はつけられませんが、
この三本です。
それほどまでに、面白かったです。
面白かったからこそ、ウィルのゲイの告白が痛い。
その悩みがあったからこそ、ウィルというキャラクターが
あったというのは分かる。
前文にも書きましたが、時代背景を考えれば納得も出来る。
私が思ったのは
じゃあ匂わせろよ!!
前のシーズンからそういう匂わせ出来なものがあれば
素直に見えることが出来たかもしれませんが、
唐突に来られると、やはり疑問が残ります。
最近のポリコレ的な風潮を見ると、プロパガンダ的な物ものを
感じてしまうのも無理は無いのかな?
まとめで不満ばかり書いてもあれなので、
なぜ、ストレンジャーシングスが面白く感じたのか?も
書きたいと思います。
大雑把に言うと
子供たちが切磋琢磨して巨悪と戦う。
これが一番でかいのかなと思います。
子供を主人公とした作品はたくさんあります。
そういった映画を見たときに時折
「もし、子供じゃなくて大人が主人公だったら?」
ということを考えます。
この作品においても、大人を中心とした物語であれば、
全く別な流れだったと思います。
それなりに論理的な行動をし、
メリットとデメリットで物事を判断し、
危険を回避する選択を取る。
そんな大人たちの冒険であれば、
物語はもっと効率的で、
もっと現実的で、
そして多分、もっと退屈だった。
未成熟な子供たちは、
そんな簡単ではない。
正しいかどうかよりも、
やるべきかどうかよりも、
「今、放っておけない」という感情で動く。
だから無茶をする。
だから失敗もする。
だから傷つく。
でも、その無茶や失敗が、
結果的に世界を救ってしまう。
大人から見れば、
最初から選ばないような行動を、
子供たちは平気で選ぶ。
もし主人公たちが最初から大人だったら、
「それは無理だ」
「それは割に合わない」
「それは専門家に任せるべきだ」
そう言って、物語は始まる前に終わっていたはずです。
子供だから、
世界よりも友達を優先できる。
子供だから、
失うものの重さを完全には理解していない。
でも、だからこそ、
誰よりも真っ直ぐに巨悪に立ち向かえる。
少年少女の物語が面白い理由は、
「大人になったら失ってしまう判断基準」で
ストーリーが進行する事だと思います。
他の作品で言うと
ホラー?映画の「IT」は後半より前半の方が面白いし

個人的な感想です(笑)
「スタンドバイミー」は線路なんか歩かず、車で一日で
事が済んでしまう。
ある意味では子供を主人公にすることが物語にバフ的な物を付与
しているかもしれません。
が、それを踏まえても「ストレンジャーシングス」は、
今後も、語り継がれていくドラマだと思います。
まとめが思いのほか長くなってしまいましたが、
皆さんはどう言った感想を持ちましたか?
良ければ感想をお聞かせください。
では、また。




